2019-02-10 民主主義の真理 民主主義において合理的な判別するには「多数に基づくもの」が真理とされる。これを、多数決の原理という。 要するに、一定の人間の集団があり、何を「善」とするのかを決める際に、多くの人間が「善」と思ったものが「善」となるということである。 しかし、現代社会において必ずしも多数派が「善」ではないという矛盾があるのは確かだ。 例えば比較的交通量の多い片側一車線道路で、速度制限標識「40」の区間があったとする。 これは、40km/hで走行しなければならないということなのだが、大抵の場合、40km/hで走行する車両が「少数派」となり、50~60km/hで走行する車両が「多数派」となっている場合が多い。つまり40km/hで走行する車両が『チンタラ走る迷惑な車両』となり、本来正しい筈なのに多数派に虐げられる存在となってしまうのだ。この場合速度制限「40」を40km/h以上で走ることが、多数派となり暗黙の【善】となる。法律や憲法は政治家と呼ばれる少数派が作ったものだ。集団をまとめるには「統一者」が必要だ。しかしその「統一者」は少数であることに違いはない。 つまり、民主主義などというものは、ごく少数派による都合のいい体(てい)に過ぎないのだ。 いや、集団の真理が統率者を生み出しているのか… 民主主義って、多数派が無責任になれる都合のいい手段に過ぎないんじゃないか。