性悪説と性善説
【性悪説】とは、人間の本性を利己的欲望とみて、善の行為は後天的習得によってのみ可能とする説。(goo辞書より引用)
【性善説】とは、人間は善を行うべき道徳的本性を先天的に具有しており、 悪の行為はその本性を汚損・隠蔽することから起こるとする説。(goo辞書より引用)
僕の解釈では
家から出かける際に「泥棒が入るかもしれないから、鍵を閉めよう」とするのが性悪説側の人で「泥棒なんているわけ無いから鍵なんてしないよ」とするのが性善説側の人だと考えている。
どちらが「利口」かと言えば当然、前者だろう。
人は往々にして利己的だ。
「情けは人の為ならず」これは(人にかけた情けは廻り廻ってやがて自分に返ってくる)と云う意味なのだが、どれだけの人が正しく理解しているだろうか?
親切なんてものは利己主義の代表的な行為のひとつだ。ボランティアなんて自己満足以外の何物でもない。
人は相手より有利な立場に立ったときだけ、その情けを懸けることができる唯一の動物だ。また、自分の生命維持以外に殺生を行う唯一の動物でもある。
アダムとイヴは、禁断の果実を食べたことが原因でエデンの園を追い出されたのではなく、禁断の果実を食べたことにより『知恵』をつけたことが原因だったのだ。
-『知恵』を持つ以上、人の性は「悪」である-